2005年03月02日
ブログとは -はあちゅう騒動から考える
はあちゅう騒動に触発されて、ブログについて考えるところを書き記してみます。
なお「はあちゅう騒動」とは、昨年、クリスマスまでに彼氏を作ろうという女子大生2人組(さきっちょとはあちゅう)がその奮闘期をブログで毎日更新し人気を集めて、年末にはライブドアブログでTOPのアクセスを獲得し、その後バレンタイン前にも同様の企画を進めたもののその内容の演出度の強さや2月15日に発表したはあちゅうと某ベンチャー企業主催の「いいおんな塾」というブログイベントについてのエントリーに批判が集まり、現在も続く600近いコメントやトラックバックを通じて個人ブログの商業利用や読者の位置づけ、ブログ運営者の倫理や著作権に至るまでの論争がなされている件のことです。まとめとしては[web][ブログ]論争をまとめてみた。まとまってない。-ダメ東大女子の備忘録というエントリーが秀逸ですので、興味ある方は若干長文ですがご一読ください。
はあちゅうさんらへの批判や賞賛やお題への模範解答的なものは各所のブログで語られていますので、ここではこの件を通して感じた「ブログとは」をブログのコンテンツ・コンテクストとしての観点で軽く書いてみます。
ブログというのは基本的には固有の書き手(単数であれ複数であれ)が、時系列である一定のフレームワークに則って意見・感情・事象・解説といったコンテンツを主にテキストと画像の表現によって書き連ね、そこにコメントやトラックバックの形をとってそのコンテンツに対する読者の同意・共感・意見・批判といったレスポンスが投じられ、その織り成しのコミュニケーションがコンテクストとなって全体が構成されるものと定義できます。
フレームワークとはその書き手が自身の価値観念をルーツとしてそのブログに投じたテーマであったり目的であったり、時にはその書き手自身の人間性そのものであったりします。このため、読者側の価値観でブログを俯瞰した場合には時に脈絡ないものに映ったり想定される価値が継続して提供されなかったりすることがあります。これはコンテンツとしてのブログがあくまで書き手の価値観念を基準として運営される「書き手の著作物」であるために、その書き手が法律・宗教・道徳といった一般価値基準を固定していなければいないほど頻繁に起こる事象です。
今回のはあちゅう騒動では、19歳という年齢でしかも経済的自立性も身につけていないはあちゅうさんにはまだそういった価値基準の固定化がなされていなかったことで、短期間の間でぶれてしまう書き手の価値観と読者の期待値の格差からくるコミュニケーションの齟齬が「かわいさあまってにくさ百倍」な状況を生んだように見受けられます。本来恋愛志向という純粋な動機で描かれていた(もしくはそのように演出されていた)ことで読者の支持を受けていたブログが、突然商業主義的な動機にすりかえられた(もしくは価値観が変化した)ことへの落胆と批判です。しかしブログが著作物である以上はいかにその変化が書き手の都合で勝手になされたとしても、読者は何を主張するべきものでもありません。
しかしながら、ブログのコンテクストの側面、書き手と読者の公開コミュニケーションを通じて生成された価値の側面を捉えたときには、書き手が一方的に予定調和となっていたコミュニケーションルールを逸脱することには倫理的な問題が発生します。これはもちろん、読者側が「荒らし」などの行為を行うことや、記名を求められているにも関わらず匿名でコメントすることなども同等に扱われる問題であることを意味します。今回の騒動での議論の対象とするべきはこの「コンテクストの価値創造プロセス」への書き手と読者のコミットメントラインなのでしょう。
とはいえ、現状はブログのコンテンツとしての価値理解さえもようやくごく一部で芽吹いてきたばかりの状況であり、コンテクストの価値とそのプロセスについてなんらかの結論を下すことは時期尚早だろうと考えます。だからこそ、今回はからずも19歳の女性が投げかけてブロガーたちが共鳴しているこの例題にはたいへん重要な意味があり、今後も継続して議論すべきものだと思います。
「電車男」や「今週、妻が浮気します」が示したネットコミュニティから発生するテキストの価値は、これらが掲示板やQ&Aコミュニティという運営主体が透明化された場において自然発生的に生まれたドキュメンタリーであるというコンテクストに依拠してます。これまでのブログにおいても、共同通信小池氏の堀江こき下ろし発言後のバッシングからブログ閉鎖寸前まで陥った件や、真鍋かをりのなりきりTomyFeburuaryへの1000を超えるトラックバックを経て起こったネット内のめがね萌えブーム、切込隊長と木村剛氏の日本振興銀行にまつわる空中戦など、ブログエントリーそのものよりもそこで織り成されたコミュニケーションが生んだコンテクスト部分にこそ価値が創造された数々の例があります。
はあちゅう騒動も含めたこれらの例を一つ一つ分析して、「コンテクストの価値創造プロセス」への書き手と読者のコミットメントラインのあるべき姿を導き出したいものですね。
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