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2005年03月15日

メディア論 -を語ろうとしてただの中途メモ

メディアについて考えてみたりしていたのですがなかなかぱっとしないまま少し言葉に落としてみます。

現在のメディアという言葉はややこしいですね。例えばテレビはキングオブメディアといわれるわけですが、その意味におけるメディアという言葉は、人の可処分時間を最も占有している「テレビ」という受像機そのものを指すこともあれば、放送波という限られた資源を占有する規制・既得権益産業としての側面が表に出ることもあるし、ニュース・スポーツからエンターテイメント・バラエティなどのコンテンツそのものを指すこともあり、はたまた広告産業の3分の1の取引額を司る広告宣伝枠というテレビ側から見たときのビジネス要素のことを指す場合もあります。はたまた、特に報道・ジャーナリズムにおいて盛んな思想的側面をメディアの象徴とすることもあります。

この構造はメディアという言葉を理解する上においてはたいへんわかりやすい構成になっています。①端末、②ディストリビューション、③コンテンツ、④ビジネス、⑤思想。この構造を仮に各種のメディアと呼ばれるものに適用してみましょう。

例えば新聞の場合、①紙、②販売網、再販制度、③報道・解説・社説等、④購読料と広告、⑤従来型ジャーナリズム、 といったものになります。

と、ここまで書いたところで手が止まってしまいましたが、以下、今後ちゃんとこのテーマの思考を進めるために整理しきれていないプロットを下記。


新聞は知識のメディア
テレビは生活のメディア
ネットは文脈のメディア
ケータイはアイデンティティのメディア

テレビは1:Nのメディア
ネットはN:Nのメディア
ケータイはN:1のメディア
人は1:1のメディア


それぞれの端末に合致したバックヤード
コンテンツが報道であれエンタメであれコミュニケーションであれ、各端末全てにまかり通るフォーマットなどありえず、それぞれの端末・メディアの特性に合ったコンテンツのコンバートが必要。また、端末毎に最も合致するコンテンツタイプは異なるため、そのメディアが一個の文化として成り立つ過程においては、その端末類型ごとに相応の開発と投資が必要となる。

コミュニケーションはメディアにおけるコンテンツの一つであり、そこには双方向・文脈立脚であることに起因する価値が存する。洗練されきった「作られた世界」であるところの既存メディアコンテンツとは対局に立つもの。

インターネットメディアの主コンテンツはN:Nのコミュニケーションである。その能動性の高さから、1:N型の映像コンテンツとの親和性は極めて低い。

ケータイは人が他者との関わりを確認しながら自分の存在をアイデンティファイするためのメディア。つながっている感を常備することによって自己を同一視する。その意味ではPCインターネットにおけるSNSとの類似性は高く、その可視性・操作性の高さから時間・場所の制約なくPCの前に座っていられるときにはSNSの方が可用性は高い。

テレビという端末においてコミュニケーションというコンテンツが表現される方法は未だ未開発の領域と言えるが、その答えがテレビ電話・映像コミュニケーションを軸としたものである可能性の高さは自明。

テレビという端末の最大のコンピテンシーはすでに万人の生活の一部として許容されているという事実であるが、I/Oインターフェースとしてのリモコンの操作性の限界、及びすでに産業化されている領域であることが1:N型コンテンツ流通以外のコンシューマ価値の源泉が提供されることを拒んでいる。

とはいえ、既に新たなユーザインターフェースの受け入れを拒否するようになったいっちょあがりの壮年・高年層(特に団塊の世代を抱えて肥大化した層)に対して新たなコンテンツ価値の理解を促すためにはテレビという端末に頼らざるを得ない。が、硬直した彼らの思考に既存の放送広告ビジネスモデル以外のビジネスを成立させることは至難。

放送とネットメディアの融合という言葉の向こう側にあるものは決してコンテンツのマルチユースやIPインフラを介した多チャンネル放送の実現といったもので昇華されるものではなく、むしろテレビでみのもんたが勧めるコエンザイムについてネットで詳細情報や口コミを調べ、そこから何らかの決済手段や物流手段を介して理想のコエンザイムを手にするまでのフローと役割分担といったもの、及びその延長線上にあるものであり、その受動・能動のアクションをとるI/Oのインターフェースがよりユーザ利便性の高い状態で配置され、適切なシングルサインオン的なユーザビリティでほぼ障壁なく最終購買行動や知識拡充までのステップを踏める状態を作ることではないか。現在このレベルの実験例は枚挙にいとまがないものの、新たな価値創造を求めない既得権益構造がその普及を食い止めているものと捉えてよい。

このフローにおいてのケータイメディアの役割は、時間と場所の制約を取り除きかつ、ケータイメールという電話同等の必着性を持ちつつもタイムシフトを可能とするコミュニケーション手段の提供によって、バイラルの広がりやアクセス可能性を高める役割を担うことになろうか。


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