2007年12月24日
ブロガーじゃない男のブログ論
ずっと書きたくて書ききれずにいたブログ論について、クリスマスイブの昼につらつらと書き綴ってみる。
ここ一ヶ月くらいの間にほんとにいろいろな方がブログに対する思いや個々の捉え方を表明されていて、それら一つ一つを見るにつけて改めて「ブログっておもしろいなぁ」ということを実感しています。
ここから辿ると一番広く見えると思います。→チミンモラスイ? : 『ブログ限界論』@RTCカンファレンス [後編]
こうして一つのテーマに対して多くの人がほんの小さな一声であったとしても「声」を発していくことで、その小さな声たちが連なりあって文脈を形成していく。その文脈形成のプロセス自体がブログの魅力であり、それがある限りブログはおもしろいのだ、と感じています。
この点では、私のブログ論というのはほぼ3年ほど前のこのエントリーのときくらいに成型されてしまっていて、今回改めてブログについて考えてみたものの、自分の考えはおよそこのときのままなのだな、と感じます。変わっていないのがいいことか悪いことかはわかりませんが。
ブログとは -はあちゅう騒動から考える | 近江商人JINBLOG
共同通信小池氏の堀江こき下ろし発言後のバッシングからブログ閉鎖寸前まで陥った件や、真鍋かをりのなりきりTomyFeburuaryへの1000を超えるトラックバックを経て起こったネット内のめがね萌えブーム、切込隊長と木村剛氏の日本振興銀行にまつわる空中戦など、ブログエントリーそのものよりもそこで織り成されたコミュニケーションが生んだコンテクスト部分にこそ価値が創造された数々の例があります。
コンテクスト、日本語で文脈、ですね。
RTCカンファレンスのRTCはRealTimeContextの意です。「リアルタイムなテーマへの文脈をリアルの場で編み出そう」というようなメッセージを込めた冠です。ブログ的な喜びをリアルに持ち込んで、少しでも多くの人にブログの喜びを知ってもらおう、というような思いを込めて。
実際、多くの方々がRTCを通じてブログ的なるものへ身を浸していってくださったようで、そのことは運営冥利に尽きることです。しかし、パネル論的に言えばそろそろその役割とあり方を考え直したほうがよいかな、とは感じています。ブログ的、カオスの中からの価値抽出だけでは、思考は深化しにくいしコミュニティも蛸壺化してしまうから。そのことはまた別で話しましょう。
翻ってブログの話。
私にはこの「みんなで一つのテーマに対するコミュニケーションを重ねて文脈を形成するプロセス」としてのブログをもっとも面白いものと感じているために、そのプロセスを分断してしまうスパム系のものを忌み嫌う傾向があります。今回の件ではその一点において「ブログつまらない論」を発議し、それを肉付けするためにBlogfanでのアクティブ数減の数字や卑近な燃え尽き例を挙げたりしていった、という順になります。
もう一点、先日のRTCでも激しい自戒を込めて提起した「ブログって結局リアルでのし上がるための道具でしかなかったのかよ!」については、残念ながら実態としてブログをそこまでのものとして終わらせてしまう人は多いのだろうな、と思っていますし、それをつまらな要因と捉えているところもあります。実際のとこはそこまでの存在としてブログを捉えている人ならばいい方なので、理想論すぎですがね。
RTCの懇親会でdankogaiさんに「ブログ限界論じゃなくてブロガー限界論。ウエハラさん限界論なんだよ」と言われたときは、その場では軽くアハハと流していましたが、実は本当にそのとおりなんだよな、と笑い泣きしてしまいそうでした。自虐自戒。まあ、軽く流していただく分には今回のブログ限界論は俺限界論(笑)だったんですよ、と。でも、今回の件強く反応した人にとってもそれぞれの俺限界論だったんだったりしてね(笑)
実はまあ、今年の初めくらいの時点で一度ブログで「社長ブログにはなりたくなかったけど社長ブログになります」宣言をして、その辺からもう自分をブログでのテキストコンテンツを通じてインターネットに価値を産み落としていく役(=ブロガー)ではなく、newsingのような仕組み・システムで価値を産み出す側に完全に回るのだ、という頭になっていたつもりでした。
にも関わらず、ブログでの発言がブロガーとしての立ち位置とプラットフォーマーとしての立ち位置を混同したまま表現してしまうことが多くて、多くの人の怒りを買ってしまいました。この点、改めてお詫び申し上げます。要は私が面倒くさいやつなのがよくないんですよね。どっちつかずというか。
なにぶん、私はブログに対して「みんなで一つのテーマに対するコミュニケーションを重ねて文脈を形成するプロセス」としての面白さを最も重要なファクターと捉えていて、そのファクターに揺らぎが出ていることへの警鐘は鳴らしたいし、その上でプラットフォーマーとしてその揺らぎを少しでも吸収したり払拭したりしたい。newsingはそのためのアプローチだし、もっとそのように成立させていきたいと思っている。
改めて、一つ一つのブログの面白さに変わりはないと思っているし、裾野も広がってどんどんと面白いブログは増え続けていると思っている。そのことはすばらしいことだし、新大陸と表現してもいいと思う。
でも、コロンブスのサンタマリア号で新大陸を見つけに行こうとするのは勇敢すぎる船乗りたちだけで、普通の人たちにはもっと安全な船や飛行機が必要だ。私は勇敢さが足りなくて、船の補強ばかりしている意気地なしの船大工かもしれない。ただ理解していただきたい。私は「新大陸なんかないぞ」と叫んでいるのではなく、「みんな、丈夫な船なら海を渡るのは怖くないぞ」と叫びたいのだ。新大陸ありき。
実はブログ界隈にいて「ブログ」そのものについて論じたり人をまとめたり仕組みを作ったりしているような人たちのほとんど(ほぼ全員)が、以下のような思考で共通しているのではないかと思っていたりする。
1.自分たちが大した人間じゃないということを知っている
2.自分たちがたまたま見つけたブログという宝物をたくさんの人とシェアしたいと思っている
3.そのために一人ひとりの役割を意識/無意識の中で果たしている
4.なかなか伝わっていかないことをやきもきもしている
5.でもぜんぜんあきらめてない
でも、その共通しているところがまた内輪論を生んだりするのが切ないところだけど、まあここまでくるとそれも全て進化の過程そのものとして捉えるのが合っているのではないかな、と思ったりもする。
ブログという名前かどうかはわからないけど、ウェブ上の個人はまだまだこれから100年の単位で進化する。情報と情報、人と人と、情報と人をより適切に結びつけるためのプラットフォームはまだまだ原始的なものしかない。ブログも、SNSも、SBMも、ソーシャルニュースも、まだまだ進化前のサルみたいなものなんだ。みんな、次へ行こう。
勇敢な船乗りも意気地なしの船大工も先のことなんかほんとは何も見えてないんだよ。でも必死にやってんだ。みんなで次に行きたいからさ。だからみんなもただ見てないで。一人ひとりそれぞれの役割で「次」へ進化しようよ。
ダメだな、この文章は。散文、多テーマ、抽象逃げ、勢い締め。駄文の典型だ(笑)
まーいいや、クリスマスイブやし。何はともあれハッピークリスマス to you all !
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://huehara88.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/612

